まずはid:noon75のブログ、八月十二日のやつを読んで欲しい。
てゆう文章ね。
で、これを読んでア、とかウ、とか感じた人は、八月十二日まで、あと一週間あるので、仕事の合間に、セックスの合間に、学業の合間に、メシを食う合間に、要するに日々の暮らしの合間に、中上健次とゆう作家について、彼が残した小説について、エッセイについて、なんでもいいから、ひとつ思いを巡らして欲しい。中上健次は1992年に死んで、今年は2006年。
今この文章を書いているおれも、そしてここを読んでいるあなたも、中上健次とは違って、間違いなく、生きている。呼吸をしている。中上健次と比べて、おれたちが唯一確実にスグれている点、それは文句を言いながらも、とりあえず現在を生きているという事だ。その一点に関してのみ、少なくともおれは中上健次に、ケッ、ザマアミロと言いたい。
おれは三島由紀夫とゆうシトを色んな意味でこよなく愛しているんだケド、彼に関してはザマアミロ、おれ生きてるぜ、なんて思わない。あのオッサンは、死にたくて割腹したわけだから。むしろ三島由紀夫のハッチャけた死に方には、完全なる他人事として、仄かな嫉妬心すら抱く。
けど、中上健次である。中上健次は、間違いなく生きたがっていた。路地を焼き尽くし、老婆たちを旅出たせ、沖縄、東南アジアを舞台にヒリヒリする程に退屈で冗長な青アザの異族青年たちを描きだした中上健次は、間違いなく、1992年に死ぬはずではなかった作家である。
作家、中上健次がこの世を去ってから14年である。
クソなのか否か、イマイチよくわからないインターネットの世界にたむろするおれやあなたたちが、死んだ中上健次に「あんたネットも知らないの?ザマアミロ」と発言するきっかけを、無名のセックスブロガーnoon75が与えてくれた。おれも当日までには何か一つでも、中上健次について日記でも書こうと思っている。それは他人にとっては読むに値しない自分語りになるのかもしれない。何を書くかもわからない。正直なところ何も考えていない。だって仕事が忙しいんだよ最近、バカ!
とかなんとか。タイクツなつぶやき。屁のような日記。
そんなくだらないアレやコレや。会った事もない人間が死んで14年。その、会った事もない人間であるとゆう意味において、頭のテッペンからつま先まで他人である中上健次について、思いを巡らす。文章を綴る。その全てが生きているおれたちの特権である。中上健次、ザマアミロ。ぜひこれを読んでいるあなたにも参加してほしい。そしてnoon75にトラックバックを送ってほしい。出来うる事なら可能な限り参加して頂きたいが、そうでなくとも、見ていてほしい。八月十二日、ネットに巣くう不特定多数の人間たちが思いうかべる、中上健次。彼や彼女たちが綴る文章、モニター越しにもらすため息、つぶやき、その全てが死んだ中上に対する過剰な愛にあふれた嘲りである。
セックスなんてくそくらえ(http://d.hatena.ne.jp/noon75/)
【咲きほこれ夏芙蓉−中上健次14周忌によせて】
(どんどん追記していく予定。あと一週間あるから、長さは数メートルになるだろう。夏芙蓉よりも高く、高く、高く)