一木一草にポエムありである。
先日散歩していると、小学校の金網にこんな素敵な詩が貼りつけられてあった。

ここは学校だとです。
犬のトイレでもありません。
ここはゴミすて場でも
ヒロシです いかり玉
素晴らしい。この少年ヒロシの言語感覚こそ、おれが欲してやまないものである。映画『ゼブラーマン』において主人公(哀川翔)は自分より遥かに年少である浅野少年に向かい、敬意を込めて「浅野さん」と呼びかけるわけであるが、おれもまた哀川翔同様、この才能ある少年に向かい敬意を込めて「ヒロシさん」と呼びかけねばならないだろう。ヒロシさん、あなたは今すぐにでもブログを書くべきである。さて、在野にはこのような人材がきっとまだまだ埋もれている事だろう。世界はウェブだけで構成されているわけではない。町は詩であふれている。
追記
上の詩において唯一出てくる個人名である事から、おれは作者が「ヒロシ」であると仮定し、ヒロシさんと呼びかけたわけであるが、もしかするとこれは単純な勘違いであるかもしれない。この詩において「ここはゴミすて場でもヒロシです」までをひとつながりの文章であると考えるならば(それが自然である)、詩の作者はペンネーム「いかり玉」である可能性が高いからだ。よって作者に対して呼びかける際、「ヒロシさん」と「ペンネームいかり玉さん」の二通りのパターンを想定しなければならないわけだが、しかし、「……いかり玉」までが詩であったとしたならどうであろう。作者不詳、すなわち名無しさんと呼びかけねばなるまい。