はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

酒とセックスにまつわる支離滅裂・未来派


十代のころ吉田健一の小説を読んで、酒とゆうのもなかなか奥が深いものだなあと感心した事がある。当時は(今もだけど)ワンカップとか安物の鬼殺しばっかり飲んでいたのだけど、一度競馬で万馬券をとってしまって、自分への御褒美にナントカってゆう大吟醸酒を買ってみた。720mlで四千円近くしたと思う。一口飲んでみて驚いた。高い酒とはこんなにかぐわしいものなのか、と。酒とゆうのは、味ではなく結局のところ香りを楽しむものである。とかなんとか理屈をこねたりもして。でもそれ以来、結局いくら金があっても大吟醸酒を買う事はなかった。こおゆう物ばっかり飲んでるとワンカップが飲めなくなるから。ぼくはそれほどまでにワンカップを愛していた。ジョー・ストラマーが言ったところの「パンクとはattitudeである」、これと同じ事がワンカップにも言える。ワンカップとはattitude、すなわち生きていく上での姿勢や態度の問題なのである。これとよく似た話でありながら結果は全く違うものとして、セックスの問題がある。中学生のころクラスでやたらめったらモテまくっているA君とゆうのがいて、彼もぼくもバイクが好きだったから、わりに仲がよかった。ある日彼の家に遊びに行くと、どおやらその前日に彼は人生初めてのセックスとゆうものを経験したらしく、その様子をぼくに微に入り細にわたり物語ってくれた。部屋のベッドを指さして「まあ金子君、ちょっとそこに寝っ転がってみいな。きみが女役やで。まずおれがこおやって髪をさわってな、もう片っぽの手はすでに股間にいっとるわけや。そおすると女は自然と足を開きよる・・・」、まあこおゆう話を延々と聞かされて、最後に「なあ金子君、きみもオナニーばっかりしてんと一回オンナのあそこっちゅうのを味わってみなアカンで。おれ、もうあんな気持ちええ事してもおたら、もうこれからオナニーなんてする気にならんわ」と言った。ぼくは「ほお、女っちゅうのはそこまで気持ちのエエもんなんか?そらエライこっちゃなあ」などと答えていた。後年、ぼくにも初めてのセックスを経験する機会が訪れた。その時ぼくはA君の話を思い出していた。ぼくは今、おそらくあと数分で、はじめて女のあそこっちゅうもんを体感するわけやけど、きっとそれは今まで味わった事もないような未知の世界なんやろう。未知との遭遇っちゅうやつやな。女のあそこには未来が蛙のたまごみたいにつまっとる。ぼくは今から未来旅行に出かけるんや。・・・【長くなるので中略】・・・女のあそこには未来なんてなかった。まさにそこは過去の世界だった。オナニーしてる方が気持ちええやないか。どないなっとんねんやろ。ぼくにとってそれは衝撃的な事実だった。酒にたとえるならオナニーとは合成酒でセックスとは大吟醸酒。香りも味わいもまったく違うはずだった。ところが実際経験してみると、これはまったく逆である事に気付く。そうか、セックスなんて合成酒みたいなもんや。オナニーこそ大吟醸なんや。そう、未来は女のあそこではなく、ぼくの左手にあったわけだ。まさに未来はぼくの手の中とゆうやつである。そうなんや、自分の未来は自分の手で切り開かないとアカンのや。ぼくはそう決意した。ハイ、ここまで読んでくれてありがとう。もうこれ以上書くのはめんどくさい。人は生まれたその瞬間から表現者として宿命づけられる。表現とは生まれたその場所を振りかえり、凝視することからはじまる。「自分はどこから来たのか。ふりかえった場所には何がある?おれはいつもそれを写真に撮り続けているんだよ」(荒木経惟/性器写真・帯文)。