はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

「中央線」とゆう場所

数年前に住み慣れた北海道からおれはのこのこと東京へやってきた。


上野公園あるいわ浅草の映画館、あるいわ渋谷の漫画喫茶、あるいわ大崎の駅ビル、あるいわ千住の簡易宿泊所などで寝泊まりしながら何ヶ月かたち、そのころトラック運転手を辞めたばかりで金だけはふんだんに持っていたのでさて、そろそろ定住する物件でもさがすか、と、思い至った時、おれの頭にまずうかんだのが〔中央線沿線にだけは絶対住んでたまるか〕とゆう漠然たる決意であった。


おれは、なんとゆううか、居心地のわるさを求めていたのだ。


高田渡、友部正人、シバ。この三人の(あえてこう書くが)中央線シンガーに魂のすべてでかぶれていた二十歳前後のおれは、当時唯一気のあった友人と二人、大阪からとことこ十時間かけて電車に乗り東京へ来ては、阿佐ヶ谷の駅に立ち、中道商店街を探し、伊勢屋で酒を飲み、ギターを弾き、深夜の井の頭公園でビート文学について語りあったりした。そおこおしているうちに三鷹に好きな女が出来て、三人で共同生活をはじめたりした。セックスとマリファナ漬けの何ら建設的でない日々は、おれにとってひたすら意味がなく、そしてなんとなく、自由なかんじがしたのだ。


よおするに、なんとゆうか実際の場所、すなわち、そこに生きる人たちの暮らしや文化、息吹とはたぶん関係のないところで、おれは頭の中で強固に「中央線」なる概念を作りあげ、そこにどっぷりとつかっていた。悲しくなるほどに居心地のよい、「」付きの中央線、それが二十歳のおれのすべてだったように思う。