朝起きるなり吐き気と頭痛に襲われた。風邪でもひいたのだろうか。
苦しみながらも煙草をくわえ頭をかかえつつ俺はねじめ正一が
谷川俊太郎について書いた一文*1を読んだりし感銘をうけたりもした。たとえば
谷川さんほど言葉が正確な詩人はいない。それも言葉のお釣りまで計算している詩人 だ。コップになみなみと酒を注いで、サービスにちょいとあふれさせてくれる居酒屋が あるが、谷川氏の言葉はちょいあふれさせたそのオマケが、コップの下に敷いた皿にま たぴたりと盛り上がっている感じである。
こおゆうたとえ話が俺は好きなのだ。コップ酒といえばだいぶ以前にも引用した事のあ
る坂口安吾の「酒の飲み方」なるエッセイの一文。
コップ酒には昔から定まった飲み方がある。皿にコップをのせて酒をつぐ。 ナミナミと溢れて皿にも一パイになるように酒をつぐ。これがコップ酒の一パイであ る。飲み助はまずコップの酒をキューと半分ほどのみ、皿の酒をコップへうつして改め てコップ一パイの酒を味わう段どりになる。 ところがコップ酒には「半分」という飲み方がある。 「半分おくれ」 「ヘーイ」 と云ってチョッキリ一パイ持ってきてくれる。その代り皿にこぼれていない。 けれども、この「半分」を二度飲む方が一度「一パイ」を飲むより量が多い。 つまり半分を二度ならコップにチョッキリ二杯のめるが、一パイだとコップの一パイと 皿の半パイで一パイ半しかのめない。
午後、相変わらず頭痛と吐き気がおさまらない。
俺はこのまま死んでしまうのか。
老体をひきずって西友まで行き、本みりん買う。ソバを作り、フテ寝す。
夕、どうせ死ぬなら腹上死、ではなくブルース聴きながら死のうと思って頭をかかえた
まま渋谷へ。「デビルス・ファイヤー」みる。
吐き気をこらえたまま俺はエリザベス・コットンのモノローグをきき、涙があふれた。
女史の語りに感動してとゆうよりは、体調の悪さゆえ。
ゲイリー・デイビス。ビッグ・ビル・ブルーンジー。ミシシッピ・ジョン・ハート。
夜中。遠くで爆竹がなった。
*1:『世間知ラズ』を読む(「言葉の力を贈りたい」所収・NHK出版・ISBN:414080713X)