はてなダイアリー平民新聞

創業2002年か2003年、平民金子の元祖はてなダイアリー日記です。

さびしさコレクション

中上健次「紀州」→ペドロ・コスタ「ヴァンダの部屋」→アマリア・ロドリゲス
→石井輝男「無頼平野」→金子光晴「そろそろ近いおれの死に」


深く考えたわけでもなく、呆けてテレビを眺めるように、チャンネルをパチパチか
えるように、酒をのみながらつらつら連想していた。中上健次は「紀州」を巡るル
ポルタージュで馬の尻尾を塩水で洗いバイオリンの弓弦を作る青年をみて、「音は
醜い」というフレーズを口ずさんだ。「ヴァンダの部屋」では何の脈絡もなく唐突
に(路地をこわすブルドーザーの音のように)バイオリンの調弦音がきこえてくる
場面があった。リスボンといえば最近の部屋音楽は図書館でかりたアマリア・ロド
リゲスの4枚組BOXであったりする。「サウダーデ」なんて知りませんケドネ。自分
が石井輝男「無頼平野」をみて感動したのはラストで詩売りの少女が≪どっからし
み出してくるんだ。この寂しさのやつは/夕ぐれに咲き出したやうな、あの女の肌
からか。/あのおもざしからか。うしろ影からか。≫からなる金子光晴「寂しさの
歌」を朗読する場面だ(このラストだけでこの映画は傑作だと思った)。つげ忠男
の原作にもこの場面はあるのでしょうか?読んでないので知リマセン蛾。ナニオマ
エハ寂シイノカッテ?いえそんな事はござゐません蛾。もしかしたら十代の頃は寂
しかったのかもしれない。そして友部正人のうたう「ある日ぼくは素敵なことばを
見つけた/そしてはじめてさびしさを知った」というフレーズを何度も口ずさんだ
のかもしれない。「生きていることは愛なんかよりずっと素敵なことだった」なん
てナ。金子光晴は油ぎった寂しさをたいらげ、無数のさびしい屁をこいた。そして
晩年「そろそろ近いおれの死に」でこう歌う。


淋しくないかって?それも飛んでもない。
生きてる時だって いつも孤りで、
不自由なおもいをしたことはない


孤独なんて 脂下がってる奴は、
たいてい何か下心があって、
女共にちやほやされたい奴だ。


よくわかるって? 当たり前さ。
俺だって、似たような奴だったから
そんな俺がいま死んだとしても


痴漢が一人、減っただけのことで
世の中は さっぱりしたわけだ。
詩だって? それこそ世迷いごとさ。


このいくらか長い詩の中で金子光晴は、自分が死んだら仏さんや神さんに死骸を食
ってもらうのだと言いはる。


いい食肉になりますように、風呂に入ること、豚になることを理想として、せいぜい、脂肪をつけてもいます。