ベイルートの海は青い。 それこそ染まるほど青い。 わたしは東京生れの東京育ちだから、水平線の彼方に、ものが見えない海 というものを見たことがなかった。 しかし、ベイルートの海の水平線は、それこそ永遠の時間と空間にすいこ まれているように広く果てがない。 ひまなとき、仕事につかれたとき、奥平君と、いや、バーシムとわたしは よく海岸へ出た。 いくらアラブといっても、三月では泳げない。 ふたり並んで、砂浜や、石に腰をかけて、足を波に洗わせながら、パンを かじったり、ハンバーガーをほおばったりしたものだった。 「ね、バーシム」 と呼びかける。 「よせ」 と、こちらの顔も見ずに怒ったように答える。 わたしはサミーラと呼ばれることには、もうなれていたが、奥平君は、ま だバーシムという名前になじめなかったのだろうか。 それとも、物をあまりしゃべらない彼の、照れだったのだろうか。 じっと水平線をみつめながら、パンをたべている。 それだけで楽しかった。 時間をもてあます―それがどんなに優雅な生活に思えたことだろう。 不思議と、そんなとき、ふたりとも過去の話はしなかった。 これからどうなるかという、不安もなかった。 ただ並んで坐ってパンを食べる。 足を波が洗っている。 そのことだけで充分だった。 <中略> ベイルートの海は、キラキラと輝く水平線の彼方まで輝いているようだった。 荷物といっても、特別に準備するものもない。小さなボストンバッグに、ほ んの身のまわりのものだけをつめて、ある朝、奥平君は、ホテルのドアをあけた。 「じゃ、な」 それだけが別れの言葉だった。 「行ってくるよ」と、「行ってらっしゃい」もなかった。 「行く」ことだけが、わたしたちの行動のすべてであったのだ。 「うん」 わたしも、言葉もなく、ただ、うなずいただけであった。 バタン、とドアが閉って、奥平君が、足早に階段をおりる音が、遠ざかっていく。 一瞬、淋しいと思った。 <中略> ひとりぼっちになったベイルートの空は、その日も、ぬけるように青かった。 重信房子/わが愛わが革命
ゴッダムの三人の話好き お鍋のふねで 海へ出た もしもお鍋がもっと丈夫だったら 三人の話ももっと長かったのに ゴッダムの三人の話好き マザーグース/寺山修司訳
先生、どうもこのセンチメンタリズムといふ奴をどうにか片づけなけや駄目 ですね。死んだ小鳥のやうなものだから。 「我が一九二二年」の余白に/佐藤春夫*1
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*1:退屈読本;上巻ISBN:4572001189 下巻(我が〜はコチラ)ISBN:4572001219