朝、子供を抱いてベランダから外の景色を見ながら「いまスズメが鳴いてるやろ?じゃあ、スズメは何匹いるでしょう?よおく聴いてみ」と言ってみて、そんなことを言うと自分も耳をすます事になるから、耳をすます感じでスズメがどこに何匹おるんかな、と意識してみた。するとふだんは「スズメの声」くらいのぼんやりとしたひとつの音しかないものが、立体的、個別的なものとなって、あちらに一匹こちらに一匹みたいな感じの具体的な存在(とまで書くと大げさだ)としてとらえられる。

二十歳くらいの時に友人からバンドの音楽を聴く時にはベースの音だけ聴く、ギターの音だけ聴く、ドラムの音だけ聴く、鍵盤の音だけ聴く、というようにそれぞれの音を意識して抽出してそれだけを聴いて(この曲ではギターがこんな風に鳴ってるな、みたいな)、次にひとつのまとまり=「曲」として全体を聴いてみると、それを意識せずに全体を聴いていた時よりも音が立体的になっておもしろいで、というようなことを教えられて、そういう聴き方をしていますごく気持ちいいアルバムはフィッシュマンズの空中キャンプやで、と教えられたのを思い出した。

とまで書いて、空中キャンプの発売年を見てみると1996年で、それだと私が21歳の時になるから、友人にこの話を聞かせてもらったのはもっと前なのだ、と思うので、この「空中キャンプがうんぬん」というのはたぶん、私の作り話だ。記憶を後から適当に捏造したのだろう。実際はなんだったのか、それはわからないけれど、今日スズメの鳴き声をひとつひとつ拾って聴きながら、そのようなことを思い出した。たぶんこのことは昼になったら忘れるだろうから、朝のうちにこうやって書いておこう。

いつまでたっても覚えているようなことを書いても仕方がない。数時間後、数十分後には記憶からなくなっていくようなつまらねえことをいちいち書き留めておくのがおもしろい。

でも、一日のうちでほとんどのことは忘れてしまうようなあればかりだろうから、それはそれで難しいわな。