新開地のミシシッピ・ジョン・ハート

明石軒でエビフライ定食を食べる。非常に細かい話をするが、出てきた料理のおかず、汁、ご飯、漬け物皿と全部そろった所を写真に撮りたい。しかし、私が行く小さな個人経営の食堂の場合、一度に全部出てくる事があまりない。まずメインが出てきて、その後ごはん、汁、他皿と微妙な時間差があるのだ。そこで困るのが、ぜんぶ揃うまでの時間をどう過ごすかである。食えよって話だけど。こちとらメシ写真撮り続けて四十年である、写欲が勝る。けどそこで黙ってぼうっと待っていたら非常に馬鹿っぽい絵になってしまう。料理が全部そろうまでの間(わずかの時間)に何をしているかで、勝負が決まると言ってよい。私の場合、今日は卓上の袋カラシを手に持って、「不器用な男が袋カラシの開け口を探している」という小芝居をする事にした。これで50秒くらいは間がもつだろう。その間にご飯と汁が届くはずである。そんな風にしていると、店のおかあさんがダダダダッとやってきて、「あけられへんの!?ホナわたしがあけたろ!」と言って光の速さで開けてくれたのだ。「どこにかける?皿?フライ?」いや、ちゃうねん、これ渾身の芝居やねんとか言われへんやん。どこにしよっかな〜お皿のはしっこ!とか答えて、まあちょっとこの話は長くなるからいいや。いま忙しい。

 

食べて甲子園口へ。芝田真督写真展をのぞきに。初日に顔をだす予定が体調不良で倒れていたので行けず、なんとか間に合った(期間は2月3日まで)。平日の明るい時間でたまたま誰もいないタイミングだったので、ゆっくり話。芝田さん最近若い人にも発見されて大ブレイクの波が来てますね、60年代のアメリカでも同じような現象があったんです、フォークブームの影響で白人の若者に黒人の老人ブルースマンが発見されて、彼らは戦前に録音を残していた偉大なミュージシャンだったんだけど、戦中戦後長く不遇の時代が続いて音楽をやめてる人もいて、そういう人らが年をとってから再びブレイクするみたいな流れがあったんです、芝田さんは新開地のミシシッピ・ジョン・ハートですね。みたいな私の与太話を笑顔で聞いておられたので、寛容な大先輩である。いちおう書いておくと私は若い頃高田渡をよく聴いていて、その高田渡がパクっいやいや、深く影響を受けたミシシッピ・ジョン・ハートの事も好きだった。今はなき喫茶ベニスの椅子に腰掛ける芝田真督氏を子供を連れてベニスに入ったら偶然見かけたとき「あれ?このひと見た目がちょっとミシシッピ・ジョン・ハートぽいな」と思って、そこで自分が勝手に芝田・ジョン・ハートと呼んでいるだけであり、芝田氏は別にサン・ハウスやマンス・リプスカムのように忘れられた時代があるわけではない。今使っているカメラの話とか過去に使っていたカメラの話とか、紹介されているお店の事とか、けっこう真面目なお話も聞かせてもらった。キャプションの酒場紹介文章がさすがの貫禄でやはり人に歴史あり、その歴史には勝てねえわ。柚子茶飲む。他にお客さんが来られたので退席。神戸のレジェンドです。 

 

その後千鳥橋へ。フライヤーがようやく手に入ったのでツイッターで声をかけてくれたシカクに渡しに行く。フライヤーってそもそも何枚くらい渡すもんなんやろうか、と駅から歩きながら考える。そのへんの常識がわからない。20枚くらいかな、とリュックから20枚出して、それを持って入口に立ってみたが、やはり20枚も渡すとやばい人みたいだろうか、と考えて10枚にする。以前からこの人は押さえとかなあかんのちゃうやろかと気になっていた伊津原しまの作品を何点か、古本市みたいなやつがおもしろかったので何点か購入。同時開催しているスズキナオ氏の夜景ポストカード展が想像以上に点数が多く良かった。駅前で寿司を食ってビール飲む。メニューを見ると「ハマチ」「ハマチ腹」とあって、50円違う。へえ、食べ比べてみよかなと思って「ハマチの腹ください」と注文。へえ、これがハラかと考えながら食べる。次に普通のハマチいくかと思ったけどなんだか急に蒸し鶏が食べたくなって元町へ。蒸し鶏を食った。