素晴らしい世界

人間の考えている事にはそれほどオリジナルなものっていうのはなくってたとえば寂しさや怒りにまつわる思考なんかはきわめて私的なものであるようだけれど周りを見渡せば案外多くの人が同じ時代を生きるなかで同じような寂しさや怒りを抱えていたりしてその「大切な感情が実は私だけのものではなかったのだ」というオリジナルじゃなさは時として自分を絶望的な気分にさせてくれるし逆に時として自分を安らかな気分にさせてもくれるのだけれど大震災が起こって以降の東京に暮らす僕が日々感じ続ける災害によって破壊された町やそこに暮らす人々やかつて暮らしていた人々に対する決定的な「手の届かなさ」、自分から大きく意識的に手を大きく伸ばさないと圧倒的な現実に手が届かないこの微妙な距離感が嫌で嫌で気持ち悪くて仕方がないというこの感情もまた自分だけのオリジナルなものではなく多くもなければ少なくもない人たちによって共有され得るのではないだろうか、されないかもしれない、されたところでどうにもなりゃしない、もっとわかりやすくしゃべらないと、何?けっきょく何なのだ?そう、なぜ他人事のように僕は他人の悲しみについて語ってしまうのか、それは文字通り他人の悲しみだから、でもそれは僕の悲しみでもあるだろう、そんなはずはない、だって種類が違うもの、日々の営みに流されてもうついこの間の事だって僕は忘れてしまいそうで、それならそれでいいじゃない、いいわけがない、イライラするなよ、東京はもう以前の生活を取り戻しているだろう?変わってしまったもの、変わらないもの、沖のほうに町が流されて行ったんだって、東京もトイレットペーパーがなくなったんでしょ?もうすっかりなかった事にしてしまったよ、テレビの向こうの町にある小石の一粒一粒が今じゃ手をのばさないと届かない距離にあって僕は他人の痛みを他人の言葉でしゃべるし明るい月夜の晩にルイ・アームストロングを聴きながらジョギングだってする、津波のなかった世界に感謝しながら、原発がこわい?遥か遠くまで撒かれた石灰の白とグロテスクなひまわりの花、折れ曲がりめくれあがった線路、どす黒くふくれあがった、どす黒くふくれあがった、今夜は月がきれいですってメールが来た、あの子仏壇の写真が一番かわいかったな、どす黒くふくれあがった、新しいカメラが欲しい、夏は汗だくになってセックスしないと、見るべき世界がたくさんあるってまたメール、どす黒くふくれあがった、あの子仏壇の写真が一番かわいかったぜ、また来年も来いよな、忘れないで、僕はきみと同じ駅の反対側のホームに立っていて、あと少しで電車がやって来る、そして10年たってきみはどこにいるの?その頃見ている景色に10年年老いた僕の姿はあるのだろうか?さっきまで立っていた世界はどんどん遠くなって僕はきみの手をいつまでも掴んでいたいのに地続きのはずの世界で僕はきみにもう手が届かない、ねじ曲がった線路、ハーレムナイトソング、胸の痛み、あの子仏壇の写真が一番かわいかったぜ、24歳の誕生日に山から降りてきたオオルリがあの子のために鳴いたって、僕だって歌う事は出来るさ、ムーンリバーとか、遺体安置所、あそこのスーパーではエリンギが細かく切って売ってるんだよそれがおかしくって、フォークソングの役立たずめ、電車は走り去って行く、めくれ上がった線路から飛び出して、ぐっと力強く、それであのウドどうやって料理するんだよ、町を見下ろせば石灰の白、焼き海苔の機械でかくてびっくり、建物全部に車輪がはえて連なって沖へ向かう、ねじ曲がった線路からぐっと飛び出してさ、朝の光、月のあかり、アスファルトから血が流れている、熟れたベゴニアの花弁、月に照らされた線路、沖へ向かって走り去る列車、15年後にきみは何を見ている?魚三枚にさばける?この町で虹を見たのは三度目、僕だって歌う事は出来るさ、夢を、夏は汗だくでセックスしないと、せめて私の夢を見て、どす黒くふくれあがった、どす黒くふくれあがった、どす黒くふくれあがった、素晴らしい世界。