写真展の打ち上げ

先月の写真展チーム、和久田さんと小山くんと遅ればせながら打ち上げ。駅を降り、会場にしていた塩屋の「しろちゃん」に行くと閉まっていた。そのまま山陽電車に乗って新開地へ。初めて行く中華料理屋に入った。だらだらと飲める良い店であった。なぜ「しろちゃん」が閉まっていたからといってすぐに電車に乗ったのかというと、いま本田靖春『私戦』を読んでいて、夢中だからだ。すぐにでも電車に乗って続きを読むためである。いつもは塩屋方面の電車に乗る時は意識して海を見るようにしているけれど、今日は海よりも本田靖春『私戦』の方が大事であった。

ゴミ山物語

早朝、可燃ゴミを捨てに行った時に、作業服のおじさんが(近くに停まっていた作業車の中で朝食を食べた後のゴミだと予想)丸まったコンビニの袋を持ってゴミ捨て場の山積みになったゴミ袋を物色していて、ひと目で「この人、自分の持ってるゴミを捨てたいんやな。どっかのゴミ袋を開けてその中に自分のやつを入れようとしてるんやな」と理解したので、ちょうど私が両手に持っていたゴミ袋はどちらも容量に余裕があったから「ゴミですか?うちのに入れて下さいな」と声をかけようと思った瞬間に、作業服のおじさんは「あ、気まず!」みたいな感じで私を見てゴミ山から離れ、自分の車の方にかくれた。気にせんでええねんけどな、まあ気まずくなる気持ちはわかるけど……と思いながら私はなおも「ここに入れていいですよ」と言おうかなとその車の方を見たところ、いかにも気まずい感じの目をしたおじさんとばっちり視線が合ってしまって、こうなると声をかけたらこちらがやばい奴というか何か変な感じかなと思って、声をかけずにそのまま自分の分をゴミ山に置いた。コンビニでメシを買って、それを食べた後のゴミをたまたま出されている見ず知らずの可燃ごみの、しばりがゆるい袋をほどいて入れる、という行為を私も二度くらいした事があって、今朝のおじさんを見た時は「おお、リトル同志(ちょっとした同志)よ。手を差し伸べよう」みたいな気分になっただけなんだけど、おっさんにしてみたら、同じおっさんからそんなんで手を差し伸べられてもイヤやんね。

中華料理『魯班』

新開地の南、阪神高速の下あたり、ミキヤの裏あたり、と書くとわかるだろうか。前々から行きたかったんだけど、どういうタイミングで行けばよいのやら。あ、ついに来たぞ、今日や、という感じだったので魯班に。ロハンじゃなくてルパンである。魯班と書いてルパンで、これだけで入る前から1億点くらいある感じがする。ラーメンと半チャーハンセットのラーメンをチャーシューメンに変更。4億点。次回はたぶんカレーラーメンを食べます。

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ふいに涙出てきそうな濃密さ

日記に「風邪をひいている」みたいな事を書いておくと、だいたい何日くらい病気な感じでいつくらいに治ったのか、みたいな事がわかって便利だ。他人には何の面白みもないだろうが自分のことなので自分がおもしろい。ということだ。

おきて、少しだけの咳、あと鼻水少々、みたいな感じだったけど、あ、治りかけているな……みたいな感じがあった。良い事である。

キクザキさんに教えてもらった新長田のベトナム料理屋へ。

 駒ケ林の駅改札を抜けて、階段を登ろうとしていたら、おじいさんがエレベーター前でボタンを押して我々を手招きしている。階段じゃなくてこっちを使え、という事らしい。「若い人らはみんな階段使うけどなあ。ははは」とのこと。

先日、西代のあたりを歩いていた時、駐車場でしゃがんでリュックの中身を整理していた。そしたらうしろから「兄ちゃん大丈夫か、そんなとこにしゃがんで」とおばあさんから声をかけられた。「大丈夫やで。カバンの中片付けてるだけやから」「そうかいな。しんどいんかと思た」みたいなやりとりがあって、なんというか、長田のあたりのある年齢層の人たちって、独特の距離感があるんだわ。

あまり使いたくない言葉を使うと、それは「下町」の距離感で。

私は「下町」に幻想を見ていない。見ていない、とはっきり書いておきたい。そこには良い所と悪いところがあるんだ。まず悪いところを書くけど、どぎつく「差別」するところ。次に良いところを書くと、やっぱ距離が近いがゆえの、ふいに涙出てきそうな濃密さ、てのがある。この両義性みたいなのって、「下町っていいですねえ=人情」みたいな紋切り型とは全然違って、なんというか、そういう風にしか在る事が出来ないもの、というか、言葉にするのは難しい。

だから私は「下町」の魅力を語ってくれ、書いてくれ、みたいなやつは全部断るし、それでも語ってくれ、ともし万が一言われたら「この人ら、めちゃめちゃえぐい差別しまっせ」「しょせん人情なんてのは差別心と表裏一体で」みたいな事を言うだろう。そして差別される側だって差別する。差別される側に差別される側だって差別する。私は、人間なんてそんなもん、みたいな事を言いたいわけじゃないんだ。じゃあ何が言いたいのかっていうと、何かを言うのはものすごく難しいって事を言いたいのかもしれない。良いとか悪いとか、好きとか嫌いとか、そういうのって普遍的なものじゃなくて毎日毎日「ま、えっか」とどっかでポイントを設定している。それは「ゆらぎ」なんだ。気分とも言う。

書くってのは形を作ることだから、本質的に、ゆらぎを描けないというか。

うなされながらも本大会二日目

NPBスプラトゥーン2日目。咳と寒気と関節痛がひどいが、出場者たちが命を賭けている以上観戦者も風邪くらいで休んでは駄目だ。二十年くらい前、梅田のテアトルだっけ、茶屋町ロフトの前の地下にある映画館、あそこでパゾリーニ映画祭があって、見なあかんと思ったから全部通おうと意気込んだけど、眠たくて眠たくて仕方がないんだ。だから裁縫の針を持っていって、手を刺しながら鑑賞した。結局今になったら映画の内容なんてなーにも覚えていない。けれどあの時、針を手に刺しながら映画見たよなあ、というバカで無意味な経験は、五年に一度くらいどこかで書いているので、じゅうぶん元はとったのではないかと思っている。そんなわけでスプラトゥーンである。広島カープの選手年齢は12歳、14歳、16歳、16歳。優勝した横浜ベイスターズの選手年齢、13歳、13歳、16歳、18歳。ここから読み取れるのは、私らはもう、現役選手としてはまったくお呼びでないという事実である。ゲームって、なんとなく一生感動一生青春みたいな幻想ないですか。何歳になっても強くなれるみたいな。でもスプラトゥーンだけじゃなくって、eスポーツっていうのはそんな甘くないんだなと感じた。ことスプラトゥーン世界に限っていえば、私は今の時代に小学生をやりたかった。生まれるのが三十年ほど早すぎた。私らは、スターソルジャーとかスターフォースの世代だもの。高橋名人が指連射でスイカ割ってたのを追いかけた世代。それはそれでいいんだけれど、スプラトゥーンというテレビゲームの歴史始まって以来の、世界最高第一位ゲームが出てきた時に少年時代を過ごしたかった。あかん、しんどい。喉痛い。本が頭に入らない。料理の味を感じない。寒気、発熱、咳。

 

三十年近く前、京橋の駅からグランシャトーを超えて力雅とか天理ラーメンのあった路地の対面にJOYっていうゲーセンがあって(名前間違えてるかも)、そこでファイナルラップ2の大会があったんだ。自分は当時、ファイナルラップに関しては絶対に負けない自信があって、初めて出場したゲームの大会。いや、結果は3位だったんだけど、あの時の高揚ってすごくおぼえていて。ゲームを通じて年齢も身分もバラバラの、知らない人間と戦うっていう。結果だけがすべてっていう感じの熱さ。なんか、前にも日記でこの事書いたっけ、十代の自分が求めていた熱さの到達形がある気がするんだよ。いまのスプラトゥーン世界には。生まれるのが三十年早すぎたけれど、それで良かったのかもしれないな。今もし十代前半とかだったら、引き返せない所まで行く気がするよ。でも、NPB大会とか甲子園とかに出てる十代の彼ら彼女らは、その世界を見てるわけだよな。スプラトゥーンっておもしろいよなあ。本当におもしろいよなあ。私はスプラトゥーンが好きすぎるので、私とスプラトゥーンの話をする時は決して茶化さないでほしい。「やりたいんですよねえ」「おもしろそうですねえ」「私もけっこう好きなんですよお」たいして好きでもないのに適当に話を合わせないでほしい(今までそれでむかついて9人殺している)。本当に魂から好きな人だけ話しかけてほしい。

風邪がひどくなっている

完全にひどい感じになっている。昨日でなんとかイケるかと思ったが、今朝起きたら声は出ないは関節と頭は痛いわでアカン。起き上がる気力なく枕元でスマホを操作し漱石「それから」を読む。巨大な俎下駄、ゴムマリを投げつけたように部屋中に響く八重椿の落下、心臓に手を当て流れる血の音を確かめずにはいられない主人公。冒頭から異様で、しびれる描写が続く。『彼は健全に生きてゐながら、此生きてゐるといふ大丈夫な事実を、殆ど奇蹟の如き僥倖とのみ自覚し出す事さへある。』ここを読んでいて、全然関係ないのだが、おととい同じように枕元で読んでいた中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」を思い出す。『あれから十八年が過ぎて、僕たちはちょうど彼が亡くなった歳の倍の年月を生きたことになる。かつてのロック少年たちも今では、喫茶店のおしぼりで耳の穴をふいたりするような「おっさん」になった。そうした軌跡は、かっこうの悪いこと、みっともないことの連続で、それに比べて十八で死んでしまった彼のイメージは、いつまでも十八のすがすがしい少年のままである。自分だけすっぽり夭折するとはずるいやつだ、と僕は思う。薄汚れたこの世界に住み暮らして、年々薄汚れていく身としては、先に死んでしまった人間から嘲笑されているような気になることもある。ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。』こじつけで書いてるから意味もないし、つっこまないでほしいんだけど、この並べた二つ、漱石は生きていることを「奇蹟」と書いて中島らもは「軌跡」と書いた。あと30分ほどで、米が炊ける。

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)

 

 

ほのか先生、敗れる

今日はNPB(日本プロ野球機構)主催のスプラトゥーン大会があって、ほんの少しだけ見るつもりがプレイボールの朝の10時から8時間、ぜんぶ見てしまった。普段、強すぎる存在として動画配信を見ながら神のように崇めている小学生プレイヤーほのか先生(千葉ロッテマリーンズ)が、いとも簡単にやられている。あの、ほのか先生が全敗である。おそろしい。衝撃であった。

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