豚足

  昨日に引き続き今日も豚足を求めて市場に行ったら、今日は肉屋がやってる日で大量に入荷していた。豚足と牛アキレス、ホルモンミックスを買って、タレはMよりNの方がおいしいからタレだけNで買う。鳥屋でチューリップ。この店のチューリップを子供が好きで、買うなりわりとでかいのに2本食べた。その前にはらさんでチョコドーナッツを食べていたので昼ごはんはこれでいいかなみたいな感じになり、うどんセットを2つ買って家に帰る。ホルモンミックスを炒めタレを絡めご飯にのせる。しかし、4歳くらいの子供とずっと家にいるとどうなるかと言えば、やらないと死ぬ系の家事(メシ)と、やらないと生活出来ない系の家事(洗濯)以外の優先順位の低い家事がストップする。死ぬわけでも生活出来なくなるわけでもないけどしないといけない系の家事ってたくさんあって、それは主に細かな掃除だ。ほこりとか髪の毛が部屋の物のすみにたまっていって、それがどんどんふくらんでいく感じで、総体として家が散らかる。優先順位の低い方の家事ってけっこう大事なのだ。そこが出来ないとじわじわと効いてくる。買ってきた豚足は適当に解体しヒガシマルのラーメンスープで煮込む。煮込む、というほどに手間をかけなくてもよい。今日は長ネギを入れて、沸騰させて、火を止めてほうっておけば味がしみこむ。食べる時にもう一度あたためればすばらしい酒のつまみだ。晩ごはん、子供用には鮭を焼き、妻にはNのアバラご飯。別工程で豚足を4本解体していると肉のなんやかんやが指や爪なんかに染み込む感じになって、犬が狂ったようにこちらをにらんでいる。犬って豚足が好きなんだわ。昨日、子供が1歳とか2歳くらいの時に毎日のように行きまくった公園、というか空き地みたいな場所に久しぶりに連れて行った。私はすごく思い出のある場所だけれど、当人は全部忘れていて、水路に以前はいなかったメダカがたくさん泳いでいた。

おととい犬の歯が抜けた

 昨夜飲み会で「最近なんで毎日日記書いてるんですか?」みたいな事を聞かれ「書けてしまうからです」なんて余裕で答えたけど昨日の夜中2時頃、ここに何かを書かなあかんのがうっとおしくて、大変だった。飲み会がある日は行く前に書いておかないとやばいなと教訓を得た。今週インフルエンザのあれで子供と過ごしているのでそれはそれでいいんだけど、自分の勉強時間というか、そういう時間はまあ、とれない。それはしゃあないけど。子供と遊びながらメールをして、2月のイベントの打ち合わせ日をなんとか調整。昨日に引き続き今日も豚足を求めて市場に行ったが木曜日は肉屋も韓国食材屋も休みで結局手に入らなかった。行き道、横断歩道の向こうからCさんが大きく手をふってくれていたけど全然私には見えず、子供だけが気付いていた。ドラえもんのわりと新しめの映画を見たが上映時間が1時間50分あるのか、と考えるだけでちょっと厳しいなと思って、上映時間が1時間50分あるのか、まじかよみたいな事ばかり考えていると寝てしまった。夜は家でラジオを聞くのも居心地悪い気がしたのでHに行くとCさんがまさにラジオを聞くためにスマホにラジコをインストールしているところで、こっちの方が恥ずかしいわとやっぱり家で放送を聞いた。文章みたいに全部自分でコントロール出来る世界に慣れすぎていると、テレビやラジオのような、人から「編集される」世界にとまどう。しゃべった事はほぼ記憶しているので取捨選択の編集ポイントははっきりしていて、自分だったらここを残してここは切る、みたいな構成があるんだけど放送ではそれが逆で、私なら残すところが切れて、切ってもいいところだけが残っている。これはこれでおもしろい気がしたのでまたラジオに出よう。帰り際にリクエストした曲をしっかりかけてくれたところと、歌が終わってからDJの方が自分の言葉で本の感想をしゃべってくれていて、そこがとてもうれしかった。おととい犬の歯が抜けた。子供の爪を切る。

三宮に出かけて飲み会

 朝、これ読んで、と言って子供が東海林さだおの「キャベツの丸かじり」を持ってきた。表紙にあるサンマの絵にひかれたのだろう。これ絵本ちゃうでと説明しても読んでくれと言うので、まあそれやったらと読み始める。『キャベツについて深く考える人はいるだろうか。八百屋にキャベツが並んでいる。スーパーの野菜コーナーにキャベツが並んでいる。それを見て、「うむ、キャベツが並んでいるな」と思う人はいるだろうか。キャベツが並んでいるのを見て、「これはキャベツという名前の野菜である」と認識する人はいるだろうか。それほど人々のキャベツに対する認識は薄い。』と冒頭から声に出して読んでみて、でも子供にとってそれがおもしろいはずもなく、すぐに飽きて落書きを始めた。その落書きには「あっこちゃん おもしろいから とがとが」と書いてあって、「とがとがってなに?」と聞くと笑っていた。商店街に行き漬物と豚足を買う。テレビで『グーフィーの野球教室』『プルートのわんぱく坊や』『ドナルドと山羊』『骸骨の踊り』見る。『骸骨の踊り』は1920年代の5分くらいで終わるディズニーアニメ。墓から出て来た4人の骸骨が踊って早朝ニワトリが鳴きだしたのであわてて墓に帰る、という話。おもしろい。昨日ホルモンショップでKさんがおいしそうに豚足を食べていて、それを横目で見た時に「明日(=今日のこと)は豚足にするぞ」と誓ったのだ。それで買ったやつをヒガシマルのラーメンスープで煮込む。夜、三宮に出かけて飲み会。これまでずっと他人と集まってしゃべりながら酒を飲む、みたいな行為は無意味だと思っていたけれど、最近まあいろいろと考えることがあって、しゃべりながら食事をしたりしゃべりながら酒を飲んだりする事って無意味じゃないんやな、みたいなあれを思ったりする。人さまの話を聞きながらぼんやり酒を飲んでいるのはおもしろいし、人の話ってなんだか音楽のようだ。良い。

わがままな友達

 朝、コーヒーを入れようとケトルのスイッチを入れ、湯が沸いた時に子供を呼び、これは触ったらあかんやつやけどな、ちょっと見てみ、と言ってケトルのフタを開ける。すると湯気が顔の前にぶわーっと出たので、子供は「けむり、けむり」と喜んでいる。けむりを食べたいと言うのでまず私の顔の前に湯気を持って来て、たいして熱くもなかったので「ほんなら食べてみ」と子供の顔の前にケトルを持っていくと「けむり〜けむり〜」と喜んでいる。インフルエンザが大流行しているので、そんなら別に行かんでええわと園を休ませ、家で遊んでてええよと言うと「さぼっていいの?」と喜んでいる。「さぼってええけどあっこちゃんちょっとだけ仕事せなあかんから、その間おとなしくしとかなあかんで」と言ってフェリシモのやつを仕上げる。小さなことだけれど、幼いうちからさぼり癖をしっかりと身に付けてほしい。昼はホルモンご飯、家に帰って映画「ダンボ」を見る。ティム・バートン監督のバージョンがあるのを初めて知ってちょっと見てみたけど子供と見るのはこれじゃない、感がすごくてやっぱり古いディズニーのやつにした。ダンボが間違って酒を飲んで酔っ払う場面、酔いを描くイメージ映像がおもしろい。製作が1941年とか。さすがアメリカやなと感心する。初めて見た。おもしろかった。有名だけど見たことがない映画がけっこうあって、これからはそういうのを見ていきたい。わたしは「E.T.」を見たことがないのだ。夕方ホルモンショップに顔を出すと初めて来たお客さんがいて「うまい。めっちゃうまい。タレがうまい。おれ通うわ〜」と感動していて、なんかいいなと思った。いつのまにか子供が「(悪い意味ではない)理不尽な存在」から「わがままな友達」くらいに進化していて、長時間いっしょに過ごすにしても会話だとか、かけひきだとか、ずいぶん人間らしい感じになっているな、とふと思う。歩く背中を見たりしている時に。

いつでも向こう岸に戻れる程度の

 二時頃に寝てるのに四時頃に目覚めてしまうのが悩みと書いたが今日は五時半頃に目覚めた。四時に目覚めると罪悪感があるが五時半だと「早起きしたな」という気分になる。ナオミ・オルダーマン「パワー」を読む。レゴを片付ける片付けないの喧嘩をこの前してから、コーナンでレゴ専用の片付け箱にすればいいのではないかと思って大きめのコンテナボックスを買い与える。なんとなくコーナンをうろうろしていたら、人生に必要なものはだいたいコーナンにあるのではないかという気になって、ついでにパイプ椅子も買った。家に帰って商品をよく見ると椅子は脚のキャップが一個付いておらず、コンテナボックスには小さな亀裂が入っている。ああ、こういう、上手くいかない感じ、買ってみたら何か足りない感じもまた人生に似ていると思いながら店に引き返し交換。先日エイトフォーの話を書いたけれど、もうひとつ幼心に埋め込まれた恐怖のイメージとして、釣りキチ三平の鮎川魚紳が隻眼になったエピソードがある。だから今でも人がいる所で竿を振ってエサを投げ入れている釣り人を見るのがこわい。1月1日から毎日日記を書いてしまっている。なんか案外書けるもんだなと思って20日まで来てしまった。このまま行くと2003年から書き続けて今まで一度もやった事のない365日コンプリートをやってしまうのではないかと思った。いっその事達成してみたい。しかし10年前ならいざしらず、この年で365日インターネットに日記を書いていたらあほやろという気もする。ネット日記は昔はもっと孤独感があって良かったのだが今はその孤独感さえも「あえて選択しただけ」感というか、数日前、あえてスマホを持たずに「昔の感じ」を獲得しようとした行為に似て、偽物ではないが本当の孤独感でもない、ただツイッターやインスタグラムの喧騒から離れているだけ、いつでも向こう岸に戻れる程度の孤独という感じがする。なんにせよ静かな場所は良い。

長い何か

 三日くらい前。前澤友作によく似た人物に監禁されていて、そこからなんとか逃げねばならない、あとの具体的な所は忘れたがやっと扉を開けて家から飛び出したところで「大事な犬を忘れて来た!」という事に気づいて、犬を取り戻しに行き、また必死に逃げるんだけど後ろから前澤友作的な人物が追いかけて来て、たぶん捕まったら殺されるかなんかだろう、もうこうなったら大声をあげて泣き叫び周りにいる皆にこの状況を知られるしかない、というような(書くと間抜けだが見ている最中は切羽詰まった)夢を見て、その結果どうなったかと言えば、夜中の三時とか四時とかに大声で私は布団の上で叫び声をあげていたのだ。ほんますいませんという気分だった。よほど前澤友作的な何かが嫌いなんだろう。元町の喫茶ポエムさんがSNSで、近く閉店する海岸通りの喫茶エイトさんの椅子とテーブルを千円で譲ってもらえる事になったけど希望者はいますか、というような事を書いていて(これは金曜日の話)、すぐに「どんな感じなんやろ」と喫茶エイトに行った。これは欲しい、椅子4脚とテーブルひとつ欲しい、となって連絡する文面を考えているうちに子供を迎えに行く時間になり、あとでええか、夜に落ち着いてメールしよ、と思って夕方、もう一度チェックするともうとっくに全部なくなっていた。あの時すぐにメールを出していればよかったのに。欲しいと思ったものはその瞬間にしっかりつかまないといけない。日曜日、旧グッゲンハイム邸で子供向けのイベントがあったので行こうと思っていたけど最近インドア趣味になって全然外に出たがらない子供にあっけなく断られる。家にいたい時だってあるだろう。私も外に出ず、永遠に家の中で遊んでいたい。結局近所だけうろうろ。イチローショップで皆でお好み焼きを食べ、用事があったのでジュンク堂まで行くと生田ロードのところに春節か何かの長い何かがいた。夜はホルモンショップへ。

犬がパクっとその粘土を噛みだした

 夜中、缶チューハイも飲み終わって歯も磨いて、コップに水を入れてなんとなくtofubeatsのインタビューを読んで、その後で彼が一人でDJしながら歌ったりしているライブをyoutubeで見た。トークイベントをやらせてもらう事の一番のメリットは、相手の事を知らなあかんと思って相手の作品についてとことん勉強できることだ(て話は前にも書いたっけ)。柴崎友香さんの場合は出してる本の点数が多かったのでやり甲斐があった。ごろごろ神戸の本を作っている時に編集の和久田さんとデザインの小山くんと、終盤の作業でカバー写真を選ぶ時だったっけか、「わたしらもう(アンタの原稿読みすぎて)半分くらい平民金子になってるんで」みたいに言われて、そこはなんかこう、ぐっときたポイントだった。それで柴崎友香さんにしても会う前にずっと本を読んでいたんで、半分とは言わんけど30分の1くらいはおれ柴崎友香になってるんとちゃうか、くらいの感覚はあった。一昨日の話だけど、子供が畳の上で粘土遊びをしていて、犬がパクっとその粘土を噛みだした。すぐに犬を怒って無理やり口をあけると案の定歯の間に粘土が挟まりまくっていて、歯ブラシを使ってそれを取るんだけど、子供は、私が犬を怒った事に対して怒っていた。でもなあ。私は普段よほどの事がない限り犬は怒らない。「よほどの事」てのは命に関わってくることで、粘土なんか食ったらアカンやろ、てのがあるから犬をびびらすように怒る。そういうのが子供にしたらイヤだったポイントなのだろうと思うけど、こればっかりはしゃあないで。朝、ご飯の前にテーブルに落ちている遊んだレゴを片付けろと言うと怒り出す。レゴを片付けずにいて細かいパーツをなくしたり、床に落ちて犬に噛まれて使えなくなったりを繰り返している。何を怒っとんねん。片付けろ言うたら片付けんかいアンダラほんま。あっこちゃんきらい。きらいでええわい片付けんかい、みたいなやり取り。