いつでも向こう岸に戻れる程度の

 二時頃に寝てるのに四時頃に目覚めてしまうのが悩みと書いたが今日は五時半頃に目覚めた。四時に目覚めると罪悪感があるが五時半だと「早起きしたな」という気分になる。ナオミ・オルダーマン「パワー」を読む。レゴを片付ける片付けないの喧嘩をこの前してから、コーナンでレゴ専用の片付け箱にすればいいのではないかと思って大きめのコンテナボックスを買い与える。なんとなくコーナンをうろうろしていたら、人生に必要なものはだいたいコーナンにあるのではないかという気になって、ついでにパイプ椅子も買った。家に帰って商品をよく見ると椅子は脚のキャップが一個付いておらず、コンテナボックスには小さな亀裂が入っている。ああ、こういう、上手くいかない感じ、買ってみたら何か足りない感じもまた人生に似ていると思いながら店に引き返し交換。先日エイトフォーの話を書いたけれど、もうひとつ幼心に埋め込まれた恐怖のイメージとして、釣りキチ三平の鮎川魚紳が隻眼になったエピソードがある。だから今でも人がいる所で竿を振ってエサを投げ入れている釣り人を見るのがこわい。1月1日から毎日日記を書いてしまっている。なんか案外書けるもんだなと思って20日まで来てしまった。このまま行くと2003年から書き続けて今まで一度もやった事のない365日コンプリートをやってしまうのではないかと思った。いっその事達成してみたい。しかし10年前ならいざしらず、この年で365日インターネットに日記を書いていたらあほやろという気もする。ネット日記は昔はもっと孤独感があって良かったのだが今はその孤独感さえも「あえて選択しただけ」感というか、数日前、あえてスマホを持たずに「昔の感じ」を獲得しようとした行為に似て、偽物ではないが本当の孤独感でもない、ただツイッターやインスタグラムの喧騒から離れているだけ、いつでも向こう岸に戻れる程度の孤独という感じがする。なんにせよ静かな場所は良い。

長い何か

 三日くらい前。前澤友作によく似た人物に監禁されていて、そこからなんとか逃げねばならない、あとの具体的な所は忘れたがやっと扉を開けて家から飛び出したところで「大事な犬を忘れて来た!」という事に気づいて、犬を取り戻しに行き、また必死に逃げるんだけど後ろから前澤友作的な人物が追いかけて来て、たぶん捕まったら殺されるかなんかだろう、もうこうなったら大声をあげて泣き叫び周りにいる皆にこの状況を知られるしかない、というような(書くと間抜けだが見ている最中は切羽詰まった)夢を見て、その結果どうなったかと言えば、夜中の三時とか四時とかに大声で私は布団の上で叫び声をあげていたのだ。ほんますいませんという気分だった。よほど前澤友作的な何かが嫌いなんだろう。元町の喫茶ポエムさんがSNSで、近く閉店する海岸通りの喫茶エイトさんの椅子とテーブルを千円で譲ってもらえる事になったけど希望者はいますか、というような事を書いていて(これは金曜日の話)、すぐに「どんな感じなんやろ」と喫茶エイトに行った。これは欲しい、椅子4脚とテーブルひとつ欲しい、となって連絡する文面を考えているうちに子供を迎えに行く時間になり、あとでええか、夜に落ち着いてメールしよ、と思って夕方、もう一度チェックするともうとっくに全部なくなっていた。あの時すぐにメールを出していればよかったのに。欲しいと思ったものはその瞬間にしっかりつかまないといけない。日曜日、旧グッゲンハイム邸で子供向けのイベントがあったので行こうと思っていたけど最近インドア趣味になって全然外に出たがらない子供にあっけなく断られる。家にいたい時だってあるだろう。私も外に出ず、永遠に家の中で遊んでいたい。結局近所だけうろうろ。イチローショップで皆でお好み焼きを食べ、用事があったのでジュンク堂まで行くと生田ロードのところに春節か何かの長い何かがいた。夜はホルモンショップへ。

犬がパクっとその粘土を噛みだした

 夜中、缶チューハイも飲み終わって歯も磨いて、コップに水を入れてなんとなくtofubeatsのインタビューを読んで、その後で彼が一人でDJしながら歌ったりしているライブをyoutubeで見た。トークイベントをやらせてもらう事の一番のメリットは、相手の事を知らなあかんと思って相手の作品についてとことん勉強できることだ(て話は前にも書いたっけ)。柴崎友香さんの場合は出してる本の点数が多かったのでやり甲斐があった。ごろごろ神戸の本を作っている時に編集の和久田さんとデザインの小山くんと、終盤の作業でカバー写真を選ぶ時だったっけか、「わたしらもう(アンタの原稿読みすぎて)半分くらい平民金子になってるんで」みたいに言われて、そこはなんかこう、ぐっときたポイントだった。それで柴崎友香さんにしても会う前にずっと本を読んでいたんで、半分とは言わんけど30分の1くらいはおれ柴崎友香になってるんとちゃうか、くらいの感覚はあった。一昨日の話だけど、子供が畳の上で粘土遊びをしていて、犬がパクっとその粘土を噛みだした。すぐに犬を怒って無理やり口をあけると案の定歯の間に粘土が挟まりまくっていて、歯ブラシを使ってそれを取るんだけど、子供は、私が犬を怒った事に対して怒っていた。でもなあ。私は普段よほどの事がない限り犬は怒らない。「よほどの事」てのは命に関わってくることで、粘土なんか食ったらアカンやろ、てのがあるから犬をびびらすように怒る。そういうのが子供にしたらイヤだったポイントなのだろうと思うけど、こればっかりはしゃあないで。朝、ご飯の前にテーブルに落ちている遊んだレゴを片付けろと言うと怒り出す。レゴを片付けずにいて細かいパーツをなくしたり、床に落ちて犬に噛まれて使えなくなったりを繰り返している。何を怒っとんねん。片付けろ言うたら片付けんかいアンダラほんま。あっこちゃんきらい。きらいでええわい片付けんかい、みたいなやり取り。

水色

 二時前くらいに寝ているのに五時頃には目が覚めてしまうのが最近の、悩みとも言えない悩みで、今日も同じように真っ暗な中で目が覚めた。今は何時頃だろうかと闇の中で手探りでスマホを見つけてボタンを押したけれど電源が切れていて反応しなかった。そのまま寝ていようかと思ったがいつものように目が冴えて、なんとなく時間を確認したくトイレに行くついでにスマホを充電器をさしこんで、トイレが終わってから時間を見ると、まだ間に合うかな、と思って靴下をはき、玄関にぬいだままになっていたジャンパーを羽織ってそのまま外に出た。外に出る時に持っていく物で一番大事なのはスマホ、二番目はカメラかな。この2つを持って行かなければ昔のままだ、なんて思い、スマホとカメラを持たずに手ぶらで自転車に乗る。東遊園地まで行き、そこで聞きたかった話があった。着くとちょうどスピーチの途中で、なんとか間に合った、と思った。ぼんやりと立ったり座ったりしていると、空がだんだんと蒼く蒼くなってくる。空を見上げて息を吐くと街灯や会場のライトに照らされて真っ白い息が見える。6時半頃、何をするでもなく、人もだんだん少なくなって来た芝生で座っていると、後ろに立つ若い男女の話し声が途切れ途切れに聞こえてきた。僕はあの時1歳になってなかったんです。8ヶ月で。その日はオヤジが朝早くから作業で車に乗って阪神高速に乗ってたらしいんですが、あの倒れた所あるじゃないですか、(途切れる)だから色んなことがたまたまなんやな、と思うんです。わたしはなんとなく、親がおおいかぶさって来た事を覚えてる。でもわからへん。ほんまにそうなんか。覚えてる、と思うんやけど。そのまましばらく、自分の白い息を見たりして、立ち上がって後ろを振り向いた時には、誰もいなかった。海沿いを自転車で走っていると、海も空も青い。青いというより、朝になる前の一瞬の空白のような、水色。空も海も水色だなと思った。

テレビを切られて不機嫌

 朝、子供が食べ残していった食パンの耳とプチトマトがあったので、それをサッポロ一番塩ラーメンを作る時に一緒に煮込んでみた。なんでも経験だと思ったからだ。ついでに、犬のごはんを作る時に薄く薄くスライスして残ったみかんのひと粒も煮込んでみた。プチトマトはいつものことだから別にいい(おいしいです)。うーむ…「合わないこともないな」と思ったのが食パンの耳。汁を吸ってやわらかくなって、お麩みたいになる。問題が多いぞと思ったのはみかんだ。こんなもん入れて何がしたいねんという味だった。これが、案外まずくはないんだ。でも「これだったら入れないほうがいいやろう」という中途半端さと言おうか。中途半端がすべて駄目なわけではない。「これだったら入れないほうがいいやろう」という中途半端さだった。レモンを入れたほうが10億倍良い。柴崎友香「寝ても覚めても」冒頭のビルから街を見下ろす場面の描写を読む。遠景の街の描写からの「コートのポケットに突っ込んだままの手は、この数週間入れっぱなしになっている安全ピンの針のところと留め金のところの感触の違いを行ったり来たりしていた。」ここの幅がいいなあ。一度読んだ本をもう一度読む時の気楽さが好きだ。最後まで読まな、みたいなプレッシャーがないし、どこから読んでもいい。やはりどこから読んでもいい本って素敵だな。一度最後まで読んでしまえばどんな本もそんな感じになる。メールを何個か書いていたらけっこうな時間がかかった。ようやく2月29日の1003でやらせてもらうイベントのタイトルを決めて、檄文みたいなものを書いて、あとは告知が出るのを待つだけ。夜は和久田さんがしゃべるFM802を楽しみに待機。それまで子供は「のび太の海底鬼岩城」を見ていたものだから、テレビを切られて不機嫌になっていた。来月のイベントの準備をしようと思う。あとフェリシモのやつの締め切りが1日過ぎている。ひかりさんは臨時休業。

スプラトゥーン愛好家

 毎日書く事をルーチンにしてしまえば案外書けてしまうもので、これはこれで退屈だなと思う。書けてしまう。悔しい。先日歯科検診に行くと、前回は見られなかった歯の揺れが見られるので、ストレス等はないですか?みたいな話になり、マウスピースを作ってもらう。保険が適用されて2千円ちょっとだった。夜中2時頃に寝たはずなのに朝4時に目が覚める。そのまま寝られず「遠の眠りの」読む。2月9日に旧グッゲンハイム邸でトークイベントに出させてもらうんだけど、先日六條さんがそのフライヤーを手に持っていて「ちょっとウエちゃんから聞いといてって言われたんやけど」「はいはい、なんですか?」みたいなやり取りをしたところで当のウエちゃんが通りかかって「おにいさんは普段はこういうオカマやってるの?」と聞かれる。なんの事かと思えば、旧グッゲンハイム邸に提出したプロフィール写真はBeautyPlusというお化粧アプリを使っていてアゴを細くしたり頬を赤くしたり目をぱっちりさせたりみたいな加工をしていたからだった。「この写真はスマートフォンのアプリを使って加工してるだけなんですよ」「そうなん。化粧して写真撮ったんと違うんか」という会話。その後で六條さんが「僕もわからへんことがあったんやけど」「はい、なんですか?」「このプロフィールにあるスプラ……ゆうのは何?」「あ、これはスプラトゥーンっていうゲームの名前です。僕が大好きなテレビゲーム」と説明。今回のやつはプロフィール欄の肩書きを「写真家・文筆家・スプラトゥーン愛好家」と書いたのだ。それで「スプラトゥーン」て何やろう?と前日に国語辞典で調べたけれどのっていなかった、そうだ。「戦ったりするゲームなんです。僕これのやり過ぎで視力がめっちゃ落ちまして」という説明をする。すると六條さんから「そうなんや。昔の映画のプラトーンとは違うの?」と聞かれて「ちょっと違いますね」と説明する。

8×4 

 姉が大昔、あれもう何十年前や、たぶん三十五年くらい前に、停車していた自動車の右側を歩いていたか自転車で走ったか忘れたけど、そしたら急にドアが開いておでこを切る怪我をした。運転手はごめんごめんとお詫びのしるしに姉に8×4(エイトフォー)を渡した。けっこうな怪我だった気がするんだけど当人は小さなスプレー缶を誇らしげに持っており、何よりも私自身が、それがうらやましかった。ただただ「ええなあ」と思って部屋に漂うにおいをかいだ。同時に、車の横を走っていたら扉が急に開く、というイメージがあまりにも鮮烈で、恐怖のイメージとして残り、今になっても私は自転車等で停車中の自動車の横を通る時はぞくっとするし、相当注意深い。ただそれって別に損なわけじゃなくて、実際運転席側だけじゃなくて、助手席や後部座席(こっちのパターンの方が多いんじゃないか)が突然開くというのは町なかでも普通にあることだから、そこに本能的に注意深くなれたのはありがたい。今日も停車中の車の真横を通ってあの時の8×4を思い出した。
谷崎由依「遠の眠りの」p101主人公が百貨店の中をうろうろ歩いている場面の一節「野葡萄の暗い赤、暮れかたに野原を歩いていてつい行きすぎてしまうようなときの、ふいに出会う、冬の気配。」こういう言葉の連なりはとても良い。iPhoneの絵文字はあまりかわいい印象がないけどチューリップ(花)だけはかわいいと今日思った。他にもかわいい絵文字はあるのだろう。気づいていないだけだろう。なぜそれに気づいたかと言うと妻が市場でチューリップ(骨付きからあげ)を買ってきたからだ。このチューリップおいしいなみたいなメールをして、その時に絵文字が出てきた。夜はFM802へ。以前ラジオに出た時はリハーサルがあって同じ言葉を本番と計2回言うのがとても苦手だと思ったが今回は一回しゃべればいいだけだったのでありがたかった。終わって但馬屋へ。