畑原市場

午前中は「いきもにあ」へ。子連れだとのんびりいられるわけではないので、一瞬の集中力が必要だ。巡回可能時間は15分くらい。その間に買いたい物を買う。そのあと急いで西灘文化会館へ行き、松本創さんの本田靖春ノンフィクション賞受賞忘年会へ。こういう会ってどうしてもテーブルの上の料理がこう、放置されがちだったりするじゃないですか。みんな挨拶とかお話に夢中になって。それはそれで仕方のないことで、それは別にいいんだけれど。でもまあ、このタイミングでテーブルに並ぶ慈憲一セレクト(?)の畑原市場づくし料理っていうのはやっぱ特別中の特別なわけだと、わたしは思った。魚辰の刺し身、めっちゃ美味い。練り物だと時間たっても大丈夫なんだけど、いや〜〜〜これ鮮魚だからやっぱいま食うべき料理や、と思って脳をそっちのほうにチェンジして、誰ともしゃべらず刺し身を食べまくった。美味い。ただただ料理がおいしかった。その後は急いで、塩屋の旧グッゲンハイム邸に、木下直之さんがしゃべるイベントへ。12/01 (日) 木下直之「塩屋−たまたま暮らした町のキオクノキロク」 « 旧グッゲンハイム邸 リンク先の1行目、元祖ごろごろ神戸のお方やがなと、これは行かなあかんなあと思って。トークイベントが終わってから、木下さんが昔撮ったモノクロの塩屋の町の写真がずらーっと流されて。写真展をやっていた時に毎日のように通った中野センターがまだ、蔦だらけになる前の現役だった頃?の(いまも喫茶「ライオン」が孤軍奮闘)写真があった。家に帰ってから、お昼の松本創会から持ち帰った畑原市場弁当を広げて缶チューハイ。美味い。つくづく美味しい。

カレーにチーズをトッピングするやつは馬鹿

カレーにチーズをトッピングするやつは馬鹿だと思っていたが、この前スーパーで買ったのにぜんぜん誰も食べないとろけるチーズ、このまま腐らせるのはあれだと思って今朝、あつあつご飯の上に一枚のせて、その上からあつあつのカレーをかけて「仕方ないなあ」と思いながら顔をしかめて食べたらおいしかった。なんや、おいしいやんと思ってルーの上にもう一枚のせて、計2枚のとろけるチーズをのせてカレーを食べた。1枚のせたときよりも2倍おいしかった。つまり、カレーにチーズをトッピングするやつは馬鹿ではなくて、カレーにチーズをトッピングするやつは賢人であったのである。

「いそがしくなったから日記を更新しなくなる人」問題

以前から、「いそがしくなったから日記を更新しなくなる人」に対しムカついていたのだが、今は自分がその「いそがしくなったから日記を更新しなくなる人」になっている。これはとんでもないことだ。なんとなく「いそがしくなったから日記を更新しなくなる人」の気持ちはわかったが、だからといって自分が「いそがしくなったから日記を更新しなくなる人」になってはいけない。そう思うのである。

本の作業がようやく落ち着いて、明日見本が届くのだそうだ。

やっぱりあれだ。日記を更新しなくなったら、元日記書きになってしまう。

元プロ野球選手と現役のプロ野球選手はぜんぜん違う。

井川慶選手がこだわっているのはそういう部分だろう。

 

 

半ズボン物語

半ズボンを買いにユニクロに行く。シーズンじゃないので安くなってないかと思ったのだが、そんな次元の話ではなく店内にはダウンが売られていて、半ズボンとかいつの話だよ、みたいな感じだった。それはそれで仕方ないなと思ってスポーツ用品店へ。A社の短パンが定価5000円のやつが半額!2500円!みたいになっていてこれ得やん?得やん?みたいになって(それでも迷って)(40分くらい迷って)一着購入。家に帰ってタグをハサミでとって、そのタグをぼんやり便所でながめながら、同じ型番をネットで検索してみたら1700円とかで普通に売られていて、いやほんとネット検索て夢がないよなとネットを殺した。

 

朝、子供を抱いてベランダから外の景色を見ながら「いまスズメが鳴いてるやろ?じゃあ、スズメは何匹いるでしょう?よおく聴いてみ」と言ってみて、そんなことを言うと自分も耳をすます事になるから、耳をすます感じでスズメがどこに何匹おるんかな、と意識してみた。するとふだんは「スズメの声」くらいのぼんやりとしたひとつの音しかないものが、立体的、個別的なものとなって、あちらに一匹こちらに一匹みたいな感じの具体的な存在(とまで書くと大げさだ)としてとらえられる。

二十歳くらいの時に友人からバンドの音楽を聴く時にはベースの音だけ聴く、ギターの音だけ聴く、ドラムの音だけ聴く、鍵盤の音だけ聴く、というようにそれぞれの音を意識して抽出してそれだけを聴いて(この曲ではギターがこんな風に鳴ってるな、みたいな)、次にひとつのまとまり=「曲」として全体を聴いてみると、それを意識せずに全体を聴いていた時よりも音が立体的になっておもしろいで、というようなことを教えられて、そういう聴き方をしていますごく気持ちいいアルバムはフィッシュマンズの空中キャンプやで、と教えられたのを思い出した。

とまで書いて、空中キャンプの発売年を見てみると1996年で、それだと私が21歳の時になるから、友人にこの話を聞かせてもらったのはもっと前なのだ、と思うので、この「空中キャンプがうんぬん」というのはたぶん、私の作り話だ。記憶を後から適当に捏造したのだろう。実際はなんだったのか、それはわからないけれど、今日スズメの鳴き声をひとつひとつ拾って聴きながら、そのようなことを思い出した。たぶんこのことは昼になったら忘れるだろうから、朝のうちにこうやって書いておこう。

いつまでたっても覚えているようなことを書いても仕方がない。数時間後、数十分後には記憶からなくなっていくようなつまらねえことをいちいち書き留めておくのがおもしろい。

でも、一日のうちでほとんどのことは忘れてしまうようなあればかりだろうから、それはそれで難しいわな。

『プレオー8の夜明け』

昨日に引き続き古山高麗雄『二十三の戦争短編小説』から。「プレオー8の夜明け」「セミの追憶」読む。いま吉野家が、持ち帰り限定で80円引き、というセールをやっている。この事の意味について昨日から考えている。だっておかしいじゃないか。理屈としておかしい。私は太古の昔から松屋にせよ吉野家にせよ持ち帰りの場合は容器代をしっかり50円とか徴収しないといけないと主張していて、それでもそういう(持ち帰り代を徴収する)時代にはならず、店内で食べても持ち帰っても同価格のままだった。で、今回のやつ、店で食べたら80円引きならわかるよ。でも持ち帰りの牛丼が80円引きってこれ、あかんやろ。でもまあ「牛丼持ち帰り」というスタイルをPRしたいだけか。ならええわ。宣伝やったらしゃあないな。

『墓地で』

毎日書こうと思っている時はわりと普通に毎日書けてしまう日記も、一日抜けるとズルズルと、何日も書かなくなってしまう。「案外普通にいけるな」と思いながら毎日書いていた行為だが、実は案外難しい事をこなしていたのではないかと思った。だってまあ、なんやかんやでそれなりに時間とられるし。

古山高麗雄『二十三の戦争短編小説』から、『墓地で』読む。だってこれで小説の感想を書こうと思ったら、たとえ短いものであってもやっぱ時間かかるわけだし。日記書くってえのはなかなか大変だよ。私は偉いよ。